近年、多様化を誇る中国映画界が、万人の心をうつ感動のヒューマン・ドラマを贈りだした。それが「胡同の理髪師」である。
中国・北京の旧城内を中心にそこかしこにある細い路地、胡同(フートン)には、伝統的な建築様式で作られた庶民の古い家屋が建ち並ぶ。生活感に溢れ、古き良き都の情緒漂うスポットとして知られているが、オリンピックを控え、昔ながらの街並みは、そこに住む人の細やかな人情とともに姿を消そうとしている。
『胡同の理髪師』は、そうした時代の流れのなかで、胡同の一角に暮らす93歳の老理髪師の毎日をドキュメンタリータッチで描き、「豊かに生きる」ことの意味を私たちに問いかけている。 近代化の波が押し寄せる北京の街で、人々の観念や価値観も変化している。主人公のチンお爺さんの顧客は、胡同に住む病気がちの老人ばかり。ひとり寂しく亡くなっていった人、郊外に住む息子と無理やり同居させられた人など。胡同で生活する人々にもいろいろな変化が押し寄せるが、チンお爺さんの日常生活のリズムは全く変わらない。
12歳から見習いとして働き始め、今なお現役の93歳の理髪師だ。そのチンお爺さんの毎日は、朝6時に起き、毎日5分遅れるゼンマイ時計を直し、銀髪にクシを入れ、身だしなみを整えることから始まる。午前中は三輪自転車で、古くからの顧客の家を訪問しては散髪する。午後は近所の人たちとマージャンを楽しみながら世間話をする。そして決まって夜9時には床に就く。映画のほとんどのシーンがチンお爺さんの実生活を映し出している。そして、実在する胡同の生活風景をゆったりとしたリズムで繊細にまた静かに描いている。
老境に入ることの寂しさも抱きながら、凛として自分の生き方を護ろうとするちん爺さんの姿は、高齢化が進む日本でも共感を持って迎えられるに違いない。
監督を務めるのはハスチョロー(哈斯朝魯)。内モンゴル出身の逸材で、数多くのテレビシリーズを経て、2000年に長編第1作『草原の女』を発表して以来、『秘境モォトゥオへ…』などで、そのドキュメンタリータッチの語り口と瑞々しい映像感性が高く評価されている。ここでは古都・北京特有の文化、風土、人情をあぶり出しながら、新しい波が古いものを駆逐していく様を、諦観と痛みを持って描いている。
なによりの話題は、主人公のチンお爺さんを演じるのに、実際に理髪師である93歳のチン・クイを据えたことだろう。まさに本人そのままの生活がドラマをかたちづくっているのだ。監督いわく“世界最年長のアマチュア俳優”だが、映画のリアリティの軸となり、その豊かな人間性を画面に焼き付けている。
この他、演者のほとんどが胡同の老人ホームや長屋で見出した人々。チャオ爺の隣のおばさんは、解雇されたトロリーバスの女性運転手。ミー爺を演じているのは読み書きのできない83歳の独居老人だった。みなそれぞれのキャラクターを活き活きと演じている。これもハスチョローが胡同の生活を真摯に描こうする想いの表れである。